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最高裁判所第二小法廷 昭和43年(あ)21号 決定 1969年4月25日

本籍

中華民国台湾省台南市永楽町一丁目六五番地

住居

東京都港区麻布永坂町一番地

飲食店遊技場等経営

陳炎山

一九二三年一一月二六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四二年一一月三〇日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人坂上寿夫、同尾崎昭夫の上告趣意第一、二点について。

所論のうち、判例違反の点については、第一点所論のものは、事実誤認を前提とする判例違反の主張であつて、その前提を欠き、第二点所論のものは、その引用する判例は本件と事案を異にして不適切であり、その余の点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、すべて適法な上告理由に当らない(なお、第一審判決第一の認定事実中、被告人が譲渡所得に関して所得税を不正に免れたとの点については、同判決によれば、被告人のいかなる所為が所得税法(昭和二九年法第五二号による改正)六九条第一項にいう詐偽その他不正の行為に当るものであるか必ずしも明確でないにも拘わらず、原判決が右認定を肯認したのは、審理不尽ひいては実誤認の疑があるけれども、右は、いまだ原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるに足らない。)

同第三点について

所論は、事実誤認、単なる訴訟法違反の主張であつて、適法な上告理由に当らない。

同第四点について

所論は、単なる法令違反の主張で、適法な上告理由に当らない。

また、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)

昭和四三年(あ)第二一号

被告人 陳炎山

弁護人坂上寿夫、同尾崎昭夫の上告趣意(昭和四三年二月二一日付)

第一点 (「詐偽その他不正の行為」認定についての判例違反の主張)

原判決は、控訴趣意第三点及び「検察官の答弁に対する弁護人の意見二」についての判断として

所論は要するに、原判示第一に「被告人は……昭和三四年度分の実際所得金額が事業所得五一、九二二、六五七円、譲渡所得一八、二〇七、二七五円配当所得一三五、〇〇〇円の合計七〇、二六四、九三二円であり、もつて正規の所得税額四二、八〇五、四三〇円と右各申告所得税額の合計九、四四三、八三〇円の差額三三、三六一、六〇〇円を不正に免れ」とあり、これを原判決の別表の記載と合せ読むと、原判決は被告人が昭和三四年度分の所得税の免脱をうけるについて事業所得の分について不正の方法を用いたのみではなく、譲渡所得の分についても、原判示の港区赤坂溜池及び赤坂田町の土地の売却代金につきもともと租税特別措置法第三五条による居住用資産の買換の適用の余地のないことを知りながら、故意に右特例の適用を申請する旨の内容の申告書を提出するなど不正の手段を用いたものと認定しているが、被告人は当時右土地の譲渡代金について当然右特別措置法による特例の適用をうけるものと信じており、かつ右申告書の内容の記載は申告書を所轄税務署に提出した際、被告人に応接した係税務署員がこれをしたのであるから被告人は右譲渡所得の分についてまで詐偽その他不正の手段を用いて所得税の免脱をうけようとしたものではない。従つてこの点原判決に事実の誤認があるとして、その証拠関係を論ずるものである。

しかしながら、被告人の収税官吏に対する昭和三七年三月八日付質問てん末書、被告人の検察官に対する昭和三八年一月一六日付供述調書及び押収してある昭和三四、三五年分譲渡所得決議一綴(当裁判所昭和四〇年押第八三五号の二)などによれば、被告人は港区赤坂溜池及び同田町の宅地二筆を代金一五、七三五、四五〇円で取得し、昭和三四年中これを代金五二、五〇〇、〇〇〇円で、原判示の会社に売却したのであるが、被告人が右土地二筆を取得したのはこれに喫茶店を建設して営業用に供する目的からであり、右売却までの間にこれを居住用財産として使用したことはない(住居としては被告人は右土地の売却の相当以前から上目黒二丁目一九六〇番地に住宅を所有し、次いで昭和三四年ころ港区麻布永坂町一番地に住宅を新築したが、その後も上目黒の住宅を引続き所有し、昭和三四年当時は右二軒とも住居として使用していたことからいつても、売却にかかる前記二筆の土地が居住用財産であつたとは認められない)のであるから、右二筆の譲渡代金について、これによつて前記永坂町の住居などを取得したとして租税特別措置法第三五条にいわゆる居住用財産の買換による特例の適用をうける余地は全くない。しかるに被告人は昭和三五年三月所轄目黒税務署長に対し、昭和三四年度分譲渡所得として右赤坂の土地二筆の譲渡代金について前記麻布永坂町の住居の買換により租税特別措置法第三五条の特例の適用の申請をし、譲渡所得金二二、六四五、〇二一円、課税益金一一、二四七、五一〇円である旨の申告書を提出たそのころ右税務署長にこれを受理させた事実を記録上認めることができるので、特段の反証のないかぎり被告人は右譲渡所得の点についても故意に虚偽の申告をする不正の行為を行つたものと推認せざるを得ない。もつともこの点について、弁護人は、被告人が右譲渡所得申告をする際、右譲渡代金について居住用財産の買換による特例の適用があるものと信じていたばかりでなく、右申告書の内容は税務署員が記載してくれたものであつて、被告人において詐偽、その他不正の手段を用いてことさら虚偽の申告をしたものではないと主張しこれに沿うかのように被告人も当審公判において、「以前に不動産屋から、土地を売つてその代金で一生の間に一度住宅を建築するときには税金がかからないといわれてそのように信じいた。」「譲渡所得の申告をする際、税務署に出頭して係りの税務署員に赤坂の土地の譲渡の事実と永坂町の住宅の建築の事実を話したところ、税務署員が申告書に譲渡所得額などを記載し、かつ「租税特別措置法による特例の適用を申請する」とのゴム印を押してくれた。」旨供述しているけれども、前記認定のとおり被告人が右赤坂町の土地二筆に住宅を所有していたことはなく、これがいわゆる居住用財産とみられないことは明らかであるから、右被告人の「不動産屋から……」という供述をもつて被告人が本件譲渡代金について居住用財産の買換による免税の特例の適用があると思つていたと肯認するに足る証拠とすることはできないし、又、被告人の供述にあるように譲渡所得の申告の際税務署員が申告書に譲渡所得額などを記載し、かつ右譲渡代金につき「租税特別措置法の適用を申請する。」旨のゴム印を押してくれた事実があるとしても、被告人はそれを承認したうえで所要の申告をしているのであるから、結局みずから租税特別措置法による特別の適用を申請したことになるばかりでなく、そもそも税務署員が被告人からたんに赤坂の土地二筆を譲渡したことと永坂町の住宅を建築したとの事実を聞いただけで直ちに前記免税特例の適用という取扱いをしてくれたとは思われず、税務署員において被告人から右申告をうける際果して右赤坂の土地二筆が居住用財産として使用されていたか否か、という事情を尋ねないはずはなく、被告人から右土地を居住用財産として使用していたというような説明をうけたのでもない限り、右土地の譲渡代金に租税特別措置法の特例の適用を申請する旨のゴム印を押捺したりなどの措置にでるとは通常考えられないので、「赤坂の土地の譲渡の事実と永坂町の住宅の建築の事実を話した」だけで税務署の方で前記免税の特例の適用を認めてくれたかのようにいう被告人の供述もにわかに信用できない。要するに弁護人の主張は採用できず、論旨は理由がない。」と謂う。

右に原判決が弁護人の所論として要約したところのうち、「譲渡所得の分についても、(原判示の港区赤坂溜池及び赤坂田町の土地の売却代金につきもともと租税特別措置法第三五条による居住用財産の買換の余地のないことを知りながら故意に右特例の適用を申請する旨の内容の申告書を提出するなど)不正の手段を用いたものと認定しているが云々とある部分のうち、弁護人が括弧内に納めた部分は、第一審判決がそのようには説示していないところであり、もとより当弁護人もそのような第一審認定があつたものと控訴趣意で述べているわけではない。むしろ、控訴趣意書並びに前掲弁護人の意見書を調査して頂けば、第一審判決は被告人が昭和三四年分の譲渡所得についても不正の方法により所得税を免脱したことを認定したが、同判決において具体的に摘示されているのは、別表中の「同年度において三六、五六四、五五〇円の譲渡所得が生じ、課税益は法第九条第一項により一八、二〇七、二七五円となるところ租税特別措置法第三五条による買換え(麻布永坂町一住宅)の適用を受け、譲渡所得二二、六四五、〇二一円、課税益一一、二四七、一五〇円である旨の申告をなした。しかし前記譲渡資産は措置法にいう居住用財産に含まれないので

18,207,275-11,247,510=6,959,765円

を譲渡課税所得とする。(弁護人註、六、九五九、七六五円は譲渡課税所得に追加すべき分の誤記と認められる。)旨の記載のみであつて、いかなる点を捉えて不正の方法によりとなすのかも分明でなく、これを以て不正の方法による所得税の免脱を認定したのは事実誤認であるとなしたのが控訴趣意であつたことは明らかである。

右指示でも明らかなように、本件の譲渡所得が、租税特別措置法第三五条による居住用財産の買換の適用を受けられない財産であつたのに、これが買換特例の適用を申請する旨の内容の申告書を提出したことは第一審判決も指摘しているところであり、その限りでは第一審判決の認定が間違つていないことは原判決の指摘するとおりであろう。しかし、たんに間違つた内容を記載した申告書を提出したというだけでは不正の手段を用いたものとはいえないことはいうまでもない。刑罰の対象になる 脱税犯の構成要件としての虚偽又は不正の手段とはもつと積極的な行為を含むものの筈である。例えば二重帖簿をつくつたとか売上の一部を故意に記帳しなかつたとか(この点に就ては後記大法廷判決並びに同判決に引用の諸判決参照)。原判決の前掲括弧内の記載は、右の不正手段の内容を補うものとして、もともと租税特別措置法第三五条による居住用財産の買換の適用の余地のないことを知りながら故意に右特例の適用を申請する旨の内容の申告書を提出するなどと第一審判決の摘示になかつた傍点部分を付加し、あたかも同判決に存在していて弁護人もそれを前提として控訴趣意を述べたかの如く作為的な引用をなし、これを基礎として、被告人が譲渡所得についても不正な手段により所得税の逋(免)脱をしたことを認定した第一審判決に瑕疵がないとの結論を導き出しているのである。原判決において、いかに言葉を補なおうとも本件が逋脱罪の構成要件である「詐偽その他不正の行為により」にあたらないものであることは後に詳述するところであるが前記のような付加のない第一審判決の認定は「詐偽その他不正の行為」について昭和四十二年十一月十八日言渡しの大法廷判決(昭和四〇年(あ)第六五号)の示した「所得税、物品税の逋脱罪の構成要件である詐偽その他不正の行為とは、逋脱の意図をもつて、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行なうことをいうものと解する」を相当とする。との判例に違反して事実を認定したものであることはいうまでもないのに、これを支持したのはこの点においてすでに判例違反たるを免れない。

しかして、原判決は、本件が前述のような買換特例の適用をうける余地のなかつた譲渡所得であるとの客観的事実の存在をもとに、被告人が前掲申告書を提出し、その頃所轄税務署長に受理させた事実から、特段の反証のないかぎり被告人は右譲渡所得の点についても故意に虚偽の申告をする不正の行為を行つたものと推断せざるを得ない。と謂うのである。

右原判決の筆法に従えば、客観的事実に合わない申告をした場合は、特段の反証のない故意に虚偽の申告をする不正の行為を行なつたものと推断される結果となり不都合も甚だしい。

ところで、所得税等の逋(免)脱罪を成立するのは、たんなる不申告の場合でなくて、詐偽その他不正の手段が積極的に行なわれる場合に限ることは、これまでも最高裁判例の示すところであつたが、前掲大法廷判例は右の趣旨を更に徹底し、明確にしたものであり、もとより先に引用した条件にあたらない限り、逋脱罪が成立しないのは不申告の場合たると申告した場合たるとを問わないわけである。

本件において逋脱の意図があつたことは被告人の終始否定するところ(というよりも後述のように被告人はかゝる場合も買換特例の適用があるものと信じていたことを一貫して述べている)であつて、前掲特段の反証のないかぎり故意に虚偽の申告をする不正の行為を行なつたものと推断せざるを得ないとの認定そのものに先づ問題があるが、それは暫く措き、前記申告書の提出は税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるなんらかの偽計その他の工作を行なつたことには到底該当しないからである。すなわち、右譲渡所得の申告は、譲渡物件にも、譲渡の日時、相手方についても、そして通常一番問題になる譲渡価格にも、また譲渡に伴つて取得した財産の内容にも、なんらの虚偽はないのである(原判決引用各供述並に譲渡所得決議綴参照)。問題はたゞそこに申告された譲渡財産と取得財産の関係、すなわち両者がともに居住用財産であるか否かであるが、右申告にあたつて被告人は前記租税特別措置法第三五条の適用を間違わせるような何等の偽計も作為も行なつていないのである。被告人は前記赤坂の二筆の土地に居住していたとか、右が居住用財産であつたとかの事実は何等申告していないのである。(従つてもちろん裏付けもしていない。)むしろ右申告書にも住所は目黒上目黒二丁目一九六〇番地であることが明記されているし、(永坂町に住宅を所有するに至つて昭和三四年当時は右上目黒と永坂町の二軒とも住居として使用していたとは原判決の認定しているところであるが、右のように新しい住宅を持つに至つた過渡期はともかくとして、そもそも二軒の住居をもつというようなことは通常ありえないことである。)それまで被告人が同所に居住し、何年も前から同所を所轄する目黒税務署へ所得税を申告していた(昭和三三年分所得税確定申告書写参照)のであるから、前記赤坂に住居を有したとか、居住用財産を有したとか偽わろうにも偽わりようがない事実関係にあつたのである。(この点で、「税務署において被告人から右申告をうける際果して右赤坂の土地二筆が居住用財産として使用されていたか否か、という事情を尋ねないはずはなく」との原判決の説示は、被告人が何年も前から前記上目黒二丁目一九六〇番地を住所として同税務署に所得税の申告をしていたことに思いを致さない欠陥がある。一体また建物の存しない宅地二筆に居住していたというようなことが考えられるだろうか。原判決の筆法とは逆に、右住所とは別に赤坂の土地に住居を持つていたことを被告人が申告し疎明を立てたとの特別の反証でもあれば話は別であるが。)

これを要するに、被告人は本件譲渡所得について、税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行なつたものではないのに、原判決が詐偽その他不正の手段による逋脱罪の成立を認めたのは前記大法廷の判例に反する判断をなしたものであるから原判決は破棄を免れないものである。

付言するに、あるいは、原判決の「そもそも税務署員が被告人からたんに赤坂の土地二筆を譲渡したことと永坂町の住宅を建築したとの事実を聞いただけで直ちに前記免税特例の適用という取扱いをしてくれたとは思われず、税務署員において被告人から右申告をうける際果して赤坂の土地二筆が居住用財産として使用されていたか否か、という事情を尋ねないはずはなく、被告人から右土地を居住用財産として使用していたというような説明をうけたのでもない限り、右土地の譲渡代金につき租税特別措置法の特例の適用を申請する旨のゴム印を押捺したりなどの措置にでるとは通常考えられないので、……」の説示は、被告人に対し右税務署員が右述のような質問をなしたところ、被告人が右土地を居住用財産としていたという説明をしたものと認定した趣旨であるとの反論があるかも知れない。(この論が成立つならば、一応前記判例の示した要件を充足するものであろう。)しかしながら、被告人がそれまで上目黒に居住し、同所を住所として目黒税務署に所得税の申告をつゞけていた事実に思いを至さなかつたこと、譲渡物件は赤坂の宅地二筆であつて、建物を伴わない物件が通常居住用財産たりえないものであることを無視しているとの非難はしばらく措くとしても、証拠にもとずかないで、二段、三段の推理を積み重ね、「尋ねないはずはなく」、「説明をうけたのでもない限り」、「措置にでるとは通常考えられない」というような説示が構成要件にかゝわる事実認定としてなされたものであるとは到底考えられないし、もし右を以つて詐偽不正の方法についての事実認定をなしたつもりであるとしても、かゝるあいまいな認定自体、詐偽、その他不正の方法についての前記大法廷判例の要件を充すものではなく、やはり判例違反たるを免れないものである。

第二点 (経験則に違背した推断による認定について)

原判決は、前掲のように、被告人の昭和三四年度分譲渡所得にかゝる税の逋脱罪の成立をも認めた第一審判決を是認して、「……。しかるに被告人は昭和三五年三月所轄目黒税務署長に対し、昭和三四年度分譲渡所得として右赤坂の土地二筆の譲渡代金について前記麻布永坂町の住居の買換により租税特別措置法第三五条の特例の適用の申請をし、譲渡所得金二二、六四五、〇二一円、課税益一一、二四七、五一〇円である旨の申告書を提出し、そのころ右税務署長にこれを受理させた事実を記録上認めることができるので、特段の反証のないかぎり被告人は右譲渡所得の点についても故意に虚偽の申告をする不正の行為を行つたものと推認せざるをえない。」と判示し、次いで、「もつとも」とはぢまつて、被告人が譲渡所得申告をする際、右譲渡代金について居住用財産の買換による特例の適用があるものと信じていたこと、右申告にあたつては所轄税務署に出向いて、係員に赤坂の土地の譲渡と、永坂町の住宅取得の事実を話して申告書の内容を記載してもらつたのである旨の被告人の供述をにわかに信用できないとして、詐偽その他不正の手段を用いてことさらに虚偽の申告をしたものでないとの弁護人の主張を排斥した。いわば右判示の「もつとも」以下は、結局判示の所謂特段の反証が認められないことを説示したわけである。

ところで右判文でも明らかなように、被告人が右譲渡所得の点について故意に虚偽の申告をする不正の行為を行なつたことを認むるに足る直接の証拠はなく、前記記録上認めることができる事実をもとに推認できるというに過ぎない。もとより、事実の認定は直接証拠のみによると限らず、証拠によつて認定された事実にもとづく推認をも許すものであることは、あえて争わないとこである。しかしながら、証拠によつて認められるところにある。しかしながら、証拠によつて認められるところのある間接の事実から犯罪事実を推認(認定)することが許され、また事実の認定は自由な心証によるとはいうものの、自ら右推認は合理的な判断に立つものでなければならないし、経験則に反するものであつてはならないということはいうまでもない。本件においては、すでに明らかになつたように、被告人が譲渡した財産が居住用資産でなかつたが故に、これに代つて取得した財産は正に居住用資産であつたが、居住用財産の買換特例の適用をうけられないのであつた。原判決の発想法は、租税特別措置法の規定に照らして、買換特例の適用がうけられないのに、これが適用を申請したのは、特段の反証がない限り、右適用が受けられないことを承知しながら故意に適用を受けようと図つたものに違いないというにあるようである。その根底にあるのは、納税者はつねに脱税を企図しているということである(被告人が他の所得でも脱税しているからというならば別であるが)。しかしこの考え方は甚だ危険であり、常識的でない。買換特例の適用がうけられないとわかつているのに、あえて適用を申請するということがどうして普通に考えられることだろうか。あるいは、原判決は前掲のその説示を読むと、被告人は赤坂の二筆の土地を居住用財産だと偽わつて申告したのではないかと疑を持つているかの如くである。しかし前論点でも指摘したように押収にかかる譲渡所得決議綴等の証拠によつてもそのような証跡は全く認められないのである。そもそも目黒区上目黒二丁目一九六〇番地に久しく居住し、同所を住所として目黒税務署に所得税の申告をつゞけた被告人が、右赤坂の二筆の土地(建物付でないこと、第一点でも述べたとおり)を居住用資産として使用していたと偽わつて申告しても、右税務署がたやすくこれを認めるだろうと考える者があれば、その人はどうかしている。通常人ならばそうは考えないから、いかに税金が軽減されることは希うところであるにしても、左様な申告をしない筈である。こう考えるのが常識的であり、合理的判断だと思われる。被告人が住所を従来通りの目黒区上目黒二丁目一九六〇番地と明記して本件申告に及んだのは、正に本件譲渡は買換特例の適用を受けられない種類のものであることを認識しないで、(むしろ被告人のいうようにこれが適用を受けられるとの話を信じて)いたからに外ならないと推断されるのであつて、そうでないというときにこそ格別の反証を要するというべきであり、たまたま所轄税務署の係員が被告人のいうとおりに記入し、軽卒に受理してくれたからといつて、事案を被告人に不利益に推断するのは不当である。

原判決の右のような推断は、吾人の経験則に違背し、「訴訟の証明は、通常人であれば誰も疑をさしはさまない程度に真実らしいとの確信を得させるもので足りる」との昭和二三年(れ)第四四一号、同年八月五日最高裁第一小法廷判決の趣旨に反するものである。(右判例は……足りる。という結びになつているが、反面……確信を得させるものでなければならない。という意味をもつものであることは、昭和二八年(あ)第二五二二号、昭和三一年一月三一日最高裁第三小法廷判決参照)。

かりに、右の点は前記判例違反とはいえないとしても、判決に影響を及ぼすべき法令違背であり、結局は理由不備の違法あることに帰し、延いては、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があることにも帰するから、右の違法ある原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反するものとして刑訴第四一一条により破棄を求める。

第三点 (収支計算法によつたことの違法について)

原判決は控訴趣意第一、二点及び「検察官の答弁に対する弁護人の意見一」について、と題して、弁護人の事実誤認の主張に対する判断を示しているが、就中控訴趣意第一点の昭和三四年度分の被告人の事業所得は財産計算法によつて算定したのに、昭和三五年度分の被告人の事業所得については収支計算法(損益計算法)によつた結果売上、収入の額はほゞ完全に把握されたが、経費、支出についての資料は不完全な状態において所得を算定したため、一一六、九九八、七七三円というような昭和三四年度についての認定額五一、九二二、六五七円の二倍を超え、昭和三六年度の税務当局認定の事業所得額七五、五二五、三一〇円、昭和三七年度のそれの六〇、二七三、八一〇円と比べてもはるかに上廻るところの過大な事業所得額を認定した違法があるとの論旨に対して、種々の角度からきわめて詳細な説示をしている。

原判決は右説示において、問題の昭和三五年度の被告人の事業所得は収支計算法によつて十分把握できる旨の結論を出した。(但し、第一審判決が認定した経費に九、三四〇、八九八円の過少計算があることを認め、その額だけ認定所得額を減じて、同年度の事業所得額を一〇七、六五七、八七五円とした)しかしながらその収入については所説の通りであるとしても、その支出の把握はやはり完全とはいえない。すなわち原判決の摘示自体においても、その額一応問題のある項目として、<5>仕入、<6>給料、<7>顧問料、<8>厚生費、<9>機械購入費、<10>植木花代、<11>通信費、<12>食器等消耗品費、<13>水道料、<14>光熱費、<15>広告宣伝費、<16>修繕費、<17>雑費、<18>消耗品費、<19>接待交際費、<20>寄附金、<23>地代家賃、<25>組合費があげられるのであり、それらの大部分については原判決挙示の証拠によつてたしかに相当程度支出状況が明らかにされたことは認められるし、その内の例えば、<13>水道料あるいは<14>光熱費、また<5>仕入のうちでも専売公社からの煙草の仕入の如きは一〇〇%完全に把握されていることは疑いない。しかし、判示の大田原憲の犯則所得調査書についても、取引の相手方に対する取引内容照会に対する回答書などによつて作成された数字そのものはなるほど信用できる(少くとも信用する外ない)ものであるとしても、取引相手の漏れている分についてはいかにもしがたいわけであつて、右犯則所得調査書が第一審において弁護人の同意の下に取調べられているからといつて、右同意は他に取引相手が漏れているものがないことまで承認したわけでないこともいうまでもない。こゝにたまたま一例があげたが、原判決も(ロ)として、「もつとも右帳簿書類中には記載のずさんな部分や脱漏した部分がある」ことを認めているのであつて、是正しきれない欠陥を包蔵しているわけである。また原判決は、『前記(イ)の記録にとどめられる性質のもので、たまたま美濃村の欠勤などの事情から被告人が直接支払い(その場合被告人は事後に美濃村に当該領収書を渡すなどして報告するのが普通であつたが、被告人においてこれを失念したりしたため)、前記(イ)の記録にとどめられなかつたものも若干あつたことが認められるけれども、原審証人美濃村曄夫の証言、被告人の当審における供述などに照らすと、その大部分は(傍点は当弁護人が付す)、原審において弁護人から昭和三五年度分事業所得についての損金の計上洩れ分として申請され、原審で取調べられた、原判決の「弁護人の主張に対する判断一ないし三」に掲げられた各証拠につくされているものと窺われることが認められ……』と謂うがその大部分は決して全部でないことを指摘すれば足りよう。

要するに、原判決は収支計算法による所得認定が十分可能であるとなすけれどもやはり右に指摘したような欠陥をもつているのであり、前掲原判決が第一審判決の誤りを訂正した景品買による支出額の認定にしても、より合理的な推計方法に変更されたとは云いえても、やはり推計は推計であつて、決して客観的真実そのものではない。やはり、かかる不完全さを残すならば、結局昭和三四年度分についての資料不備とは程度の差であつて、かかる場合には所得の合理的推定方法として承認されている財産計算法によるべきである。少くとも資料の不完全さを幾らかでも包蔵している限り財産計算法による算定数字をもつき合せて、できるだけ隙のない認定をなすべきである。しかるに事こゝに出でず、昭和三四年度分は財産計算法によりながら、昭和三五年度について収支計算法を用いた第一審判決を支持した原判決は、所得額算定についての条理を無視したもので、右は結局審理不尽にして理由にくいちがいのある違法あるものである。

次に、原判決は、弁護人主張の財産計算法によりがたい理由を種々説明しているのであるが、その説示にも、かなり誤解乃至誤まつた判断がある。原判決が、弁護人が本件記録及び証拠にもとづいてなした財産計算法による算定に疑問を持つのは結局同年度の期首並びに期末の財産の把握が十分かどうかに帰する(他に所謂店主勘定に属する分のうち被告人の個人的消費支出の問題があるが、これはいずれにしても金額的には大したことではない。)この点で、原判決が指摘している疑問のうち、金額的に問題となるのはなんといつても被告人の銀行預金の動きについてであるが、例えば、そこで指摘されている陳炎山名義の普通預金からの昭和三五年三月四日付金八六〇万円の払出は、正に昭和三四、三五年分譲渡所得決議綴中の税務署用紙に記載された調査表(No.四七八三とある分)中の、

物件

1. 太田区山王1-2618 建物 8坪 2,000,000 矢野和郎 35.6.25

現金2,000,000

2. 太田区山王1-2618 土地 271坪 8,500,000 道源敏三 35.3.5

とある分(控訴趣意書にいう水蓮寮)の道源氏に対する支払分に符合するものであるし、同普通預金からの同月一五日付金七一二万余円とあるは、昭和三四年分の所得税の認定申告書写(同年三月一四日申告書収受)の記載並に同月一六日付目黒管理なるスタンプによつて、同月一六日目黒税務署(納付された昭和三四年第三期分の税額七、一二六、六五五円に充当されたことは明白である。また同普通預金からの同年一一月一五日付金一、〇〇〇万円と西山美佐雄名義の当座預金からの同日付金七〇〇万円、合わせて同日の引出計一、七〇〇万円が指摘されているが、その代り同日付田中久名義普通預金に一、八五〇万円が預け入れられている。記録にあらわれていない説明を付け加えることを差控えるが、少なくとも右各預金に関する銀行調査元帳によれば、結果的に右一、七〇〇万円(一五〇万円は他の金が加わる)は預金口座を移し変えられたに過ぎないことがわかるのである。以上証拠の上明白なものをあげて原判決の疑問に答えたのであるが、原判決の財産計算法に対する批判が、いかに記録並に証拠の検討不十分からきたものであるかを痛感し、かゝる誤解をもとに裁判を受けることの不都合を指摘せざるをえない。この点でも原判決の審理不尽は明らかである。

また、原判決は、「収支計算法による昭和三五年度分事業所得額の認定が決して過大でないことの一つの証左として、昭和三四年度に比し、パチンコ店と喫茶店の売上額だけで年間約九、〇〇〇万円の増加のあつたこと(中略)などに照らすと、昭和三四年度分事業所得についての原判決の認定額と前記認定の昭和三五年度分事業所得額との間に前記の程度の差があるからといつて、直ちに後者の認定が誤つているということはできない。」と謂う。しかし、原判決も引用を省略した括弧内で述べているように右の増収に対し増益がいかなる程度であるかについては適確な証拠はないし、少くとも売上増がまるまる増益となるものでないことは述べるまでもない。それにもかゝわらず、わざわざ原判決が右のような説示をしているのは昭和三四年度の五、一九二万余円と昭和三五年度の一〇、七六五万余円(原判決によつて修正された分)との開きを説明するに足るほどの収益増があつたと考えるからであろう。しかし原判決が右売上増約九、〇〇〇万円を算出した根拠となつたのは、昭和三四年度の年間売上がパチンコ店全部で年間二八、〇〇〇万円くらい。喫茶店が四、八〇〇万円くらい、(合計約三二、八〇〇万円)であるとの被告人の供述調書の記載と記録から認められる昭和三五年中のパチンコ店四店の年間売上額三三、八九一万円、喫茶店の年間売上額八、〇三七万円、(合計四一、九二八万円)とによつたものであるが、とすると、昭和三四年度は総売上約三二、八〇〇万円に対し、五、一九二万余円の所得すなわち純益は売上に対し約一六%であつたのに、昭和三五年度は総売上四一、九二八万円に対し、一〇、七六五万円の所得すなわち売上に対し二五%を上廻る純益率を確保したことになる。取扱商品の売価が暴騰するとか、仕入品の価格が崩落するというような業種ならばいざ知らず、被告人のような業態においてかゝる事態のおこる筈はないのであつて、決して原判決のように売上の伸張の故を以て解明できるものではない。畢竟冒頭に述べたように収入のみを完全に把握して、支出を十分に把握しなかつた欠陥が露呈しているものであつて、これをしも売上増で辻棲の合う問題だと考えたところにも原判決の誤り、審理不尽があるのである。

以上述べ来たつたように、昭和三五年分事業所得について収支計算法に固執した原判決は幾多の点において誤りをおかしたもので、その審理不尽理由にくいちがいのある違法があるのは、明らかであるから刑訴法第四一一条により破棄せられべきものである。

第四点 (「判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認」について判断の誤りについて)

原判決は、控訴趣意書第一、二点及び「検察官の答弁に対する弁護人の意見一」についてと題する判示において、

(前略)

以上所論(一)、(二)についての判断を総合すると、原判決が被告人の昭和三五年度分事業所得額を損益計算法により算定したのは相当であるが、損益計算の内訳において原判決が前述のように損金を金九、三四〇、八九八円不足に認定しているので、事業所得額において同額だけ過大に認定したことになる。したがつて、被告人の同年度分総所得金額は右事業所得額に原判示の被告人その他の所得額を合算した金一〇八、九四〇、〇四〇円、課税総所得金額は金一〇八、八五〇、〇四〇円、正規の所得税額は金六九、八七八、〇〇〇円、被告人が不正に免れた所得税額は金六四、八七八、〇〇〇円となり、結局原判決は同年度における被告人の不正に免れた所得税額を金六、五三八、六三〇円過大に認定する誤りを犯したものといわなければならない。(………(中略)、原判決別紙第五の税額計算書中の昭和三五年度分の算出税額は金六九、九〇五、〇〇〇円と改められるべきことは計算上明らかである。)

そこで、さらに進んで右の程度の事実の誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかなものか否かについて考えると、右に述べたとおり原判決が誤認した金額は、同年中の被告人の総所得金額ないし免脱をうけた所得税額に比較すると、その約一割足らずでむしろ少額なものといつてよいばかりでなく、被告人の所得税逋脱の態様をみるに、………中略………、約金六、四八七万円に及ぶ多額の所得税を免れたものであつて甚だ悪質なものといわなければならないこと、その他本件に現われた諸般の情状、この種事犯に対する量刑の実情及び本件の罪に対する法定刑の範囲などに照らすと、前記の程度の事実の誤認は、犯罪の成否に影響のないことは勿論、犯情の点についても格別の差異をもたらすに足りないと認められるから、結局判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認ということはできない。論旨は理由がない。

と謂う。問題はいかなる場合に、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認というかであるが、犯罪の成否に影響を及ぼす場合はもちろん犯罪に影響がある場合もこれにあたることは、正に原判決の指摘する通りであるが、必ずしもこれらの場合に限定されるべきではない。「判決に影響を及ぼすことが明らか」という場合の判決とは、必ずしも主文のみをいうのではなく、理由をも併せ考えて犯罪に対する構成要件的評価に直接または間接に関係をもつかぎりすべて判決に影響があると解すべきであるからである(団藤教授小野博士外ポケット註釈全書等)

ところで、原判決が認定したような事実誤認、すなわち、云わば数量的誤認について、いかなる程度を以つて判決に影響を及ぼすものとみるか、逋脱税犯に限らないで、各高等裁判所の判例を見ても、必ずしも確立した原則というものはないようである。しかし、通常の刑法犯等の場合は、概ね前掲原判決説示の犯罪の成否に影響を及ぼす場合、もしくは犯情に影響がある場合(犯行の態様のみでなく、数量も犯情に影響することあるはいうまでもない。)という抽象的定義でも略々あてはまるように思われる。しかしながら、逋(免)脱税犯の場合における所得の誤認、ひいては免脱税額の誤認は、決して構成要件的評価に無縁ではないからである。本件の一審判決が適用したのは、昭和四〇年法律第三三号付則第三五条により、同二九年法律第五二号によつて改正された所得税法第六九条第一項及び罰金刑併科につき同第七三条、第六九条第二項であるが、右第六九条第一項は、「三年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し又はこれを併科する。」とあり、同条第二項は「前項の免れた又は還付を受けた所得税額が五百万円をこえるときは、情状により、同項の罰金は、五百万円をこえ、その免れた又は還付を受けた所得税額に相当する金額以下になすことができる。」とあるのである。結局、免脱した税額が五百万円をこえる場合は免税した税額に相当する金額が即法定刑としての罰金範囲(罰金の上限)ということになつているのである。すなわち、極論すれば、所得税法第六九条第一項、第二項は、第一審判決認定のように免脱税額が七一、四一六、六三〇円である場合は、「詐偽その他不正の行為により‥‥所得税額につき七一、四一六、六三〇円の所得税を免れ……者は、これを三年以下の懲役若しくは七一、四一六、六三〇円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」との構成要件を有することになり、第二審判決認定のように免脱税額が六四、八七八、〇〇〇円である場合は、同様にして、「詐欺その他不正の行為により……所得税額につき六四、八七八、〇〇〇円の所得税を免れ………者は、これを三年以下の懲役若しくは六四、八七八、〇〇〇円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」との構成要件を有することになる。逋(免)脱税犯における免脱した税額の確定がきわめて重要であり、その誤認は、通常の刑法犯、例えば横領罪における横領金額の誤認等とは質的な差を持つものである。かような観点において、本件第一審判決における事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

次に、百歩譲つて、原判決の謂う犯情の点について考慮しても、本件における免脱した税額についての六、五三八、六三〇円もの誤認は決して犯情に影響がないというようなものではない筈である。

前述したように所得税法が逋(免)脱税犯について定めた法定刑における罰金の最高額が変つてくるということを考慮すればなおさらである。

これを要するに、本件における一審判決の事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるのに、原判決が右の誤認を判決に影響を及ぼすことが明らかなものといえないとなしたのは、刑訴法第三八二条の解釈適用を誤つたものと謂うの外なく、同法第四一一条により破棄せらるべきである。

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